小学校の低学年のころ、夜中に目が覚めて、すごく怖くなったことを覚えています。
死んだらどうなるんだろう?
死ぬときは、痛いのかなあ?
同級生の美春ちゃんも洋子ちゃんも死ぬのかなぁ・・・?
〇〇くんも死ぬんだったら怖くないかなぁ
死んだら、どこに行くんだろう?
息ができなくて苦しいかなあ・・・
みなさんも、そんな記憶はありませんか?
暗闇の中でぐるぐると、子どもの頭で考えた結論は、友達もいずれみんな死んでいくんだったら心配することないだろう。。。ということでした。
はっきり覚えていませんが・・・
“家族と一緒だったら怖くない”と考えず、“毎日楽しくあそんでいる友達もみんな一緒だったら怖くない”と考えたのでした。
親や兄弟よりも、友達の顔が浮かんだんですね。
そういうものなのでしょうか~?
親や兄弟は自分にとって掛け替えのない心の拠り所であったのに・・・
当時、友達の存在って大きかったんだなぁ・・・きっと。
そんなことからも、育ちの中で友達とつながることの重要さを感じます。
いきなり“死ぬ”という怖い話の一例でしたが、毎日学校や家で楽しく遊ぶ友達は、そんなふうに心の拠り所になる場合もあるんですね。
そこで、一つ前のブログNo,124で書かせて頂いた続きですが、育ちの中で友達と自然な形でつながるためには、子ども同士でかつての時代のように、たくさん遊ばせることが大切になってくると考えます。
牧歌的な時代は終わり、子どもだけで遊ぶ公園は、すでに安心できなくなっています。
そんな現状をふまえ、国から仕組みをつくり、自治体で具体策を出して、
学童期の子どもを、
深谷昌志先生の、これまでの子どものように●何人かの友達と●屋外で●体を動かしながら●これといった玩具を使わずに●一人一人が創意工夫をこらしつつ●子どもだけの世界で遊ぶ、『群れ型』の子どもへと導いていかなければいけないのだと思います。
わらべうたは、“鬼ごっこ”あり、“縄跳び”あり、
“こんなことできるかな競争”ありの
『群れ型』の遊びです。。。♪
今の孤立化しているつながれない若者たちは、
大人になる前に、してこなければいけない体験が欠落していて、
特に人間の体験が一番欠けていると言われています。
2012年12月9日 はらやま
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