No.167 夏目漱石・坊ちゃん を読んでみました 「甘え」を満たす養育者の愛

 

 

 

わらべうたの教室

具体的な親子のふれ合い方を紹介し

子育てを楽しんで頂こうという目的ですが

もう一つには

子どもさんに〝健康な心の基礎〟をつくってもらう

お手伝いをしたい、というものです。

 

 

 

ママの肉声で語りかけ、歌いかける〝わらべうた♪〟は

子どもさんに『愛されている守られている』といった

自己肯定感をつくり、親子の信頼関係をつくることに

一役かってくれます。

 

 

 

生後間もなく始まる「甘え」を、養育者の愛で

満たしてあげることが、その後の精神発達に

重要であるといわれております。 

 

 

 

 

夏目漱石の〝坊ちゃん〟から、

使用人“清” の坊ちゃんへの愛ある関わりを紹介しましたのでお付き合いください。

坊ちゃんのなかに『健康な心の基礎』と、将来、困難に打ち勝つ『愛された記憶という武器』ができたであろう関わりです

 

 

 

(私ごとですが、自分も“清さん”に似た関わりを、祖母から受けて育ちました。小説の中の場面がよくわかります)

 

 

 

(本文より)

 

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清の愛情と役割 

  母が死んでからは、おやじと兄と三人で暮らしていた。おやじはなんにもせぬ男で、人の顔さえ見れば貴様はだめだだめだと口癖のように言っていた。何がだめなんだかいまにわからない。兄は実業家になるとかいってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一ぺんぐらいの割で喧嘩をしていた。

 

 

 

  ある時将棋をさしたら卑怯な待駒(まちごま)をして、人が困るとうれしそうにひやかした。あんまり腹がたったから、手にあった飛車を眉間へたたきつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言いつけた。おやじがおれを勘当すると言いだした。

その時は、もうしかたがないと観念して、先方の言うとおり勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っている清という下女が、泣きながらおやじにあやまって、ようやくおやじの怒りが解けた。

それにもかかわらずあまりおやじをこわいとは思わなかった。

 

 

 

かえってこの清という下女に気の毒であった。

この下女はもと由緒のあるものだったそうだが、瓦解(がかい)のときに零落(れいらく)して、つい奉公までするようになったのだと聞いている。

だから婆さんである。この婆さんがどういう因縁か、おれを非常にかわいがってくれた。

不思議なものである。母も死ぬ三日まえに愛想をつかしたー

おやじも年じゅうもてあましているー町内では乱暴者の悪太郎と爪弾き(つまはじき)をするーこのおれをむやみに珍重してくれた。

おれはとうてい人に好かれるたちでないとあきらめていたから、他人から木の端のように取り扱われるのはなんとも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審に考えた。

清は時々台所で人のいない時に「あなたはまっすぐでよい御気性だ」とほめることが時々あった。

しかしおれには清のいう意味がわからなかった。いい気性なら清以外のものも、もう少しよくしてくれるだろうと思った。

清がこんなことをいうたびにおれはお世辞はきらいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだからいい御気性ですと言っては、うれしそうにおれの顔をながめている。

自分の力でおれを製造して誇ってるようにみえる。少々気味がわるかった。

 

 

 

 母が死んでから清はいよいよおれをかわいがった。時々は子供心になぜあんなにかわいがるのかと不審に思った。つまらない、よせばいいのにと思った。きの毒だと思った。それでも清はかわいがる。

おりおりは自分の小遣いで金鍔(きんつば)や紅梅焼(こうばいやき)を買ってくれる。

寒い夜などはひそかに蕎麦粉(そばこ)を仕入れておいて、いつのまにか寝ている枕元へ蕎麦湯をもってきてくれる。

時には鍋焼饂飩(なべやきうどん)さえ買ってくれた。ただ食い物ばかりではない。靴足袋ももらった。鉛筆ももらった帳面ももらった。これはずっとあとのことであるが、金を三円ばかり貸してくれたことさえある。途中略―

 

 

 

 ひいき目は恐ろしいものだ。清はおれをもって将来立身出世してりっぱなものになると思い込んでいた。そのくせ勉強をする兄は色ばかり白くって、とても役にはたたないと一人できめてしまった。こんな婆さんにあってはかなわない。自分の好きなものは必ずえらい人物になって、きらいなひとはきっと落ちぶれるものと信じている。おれはその時からべつだんなんになるという了見もなかった。

しかし清がなるなると言うものだから、やっぱり何かになれるんだろうと思っていた。今から考えるとばかばかしい。

ある時などは清にどんなものになるだろうと聞いてみたことがある。ところが清にもべつだんの考えもなかったようだ。

ただ手車(てぐるま)へ乗って、りっぱな玄関のある家をこしらえるに相違ないと言った。

それから清はおれがうちでも持って独立したら、いっしょになる気でいた。どうか置いてくださいと何べんもくり返して頼んだ。

おれも母が死んでから、五、六年のあいだはこの状態でくらしていた。

おやじにはしかられる。兄とは喧嘩をする。清には菓子をもらう、時々ほめられる。べつに望みもない、これでたくさんだと思っていた。ほかの子供も一概にこんなものだろうと思っていた。

ただ清が何かにつけて、あなたはおかわいそうだ、ふしあわせだとむやみに言うものだから、それじゃかわいそうでふしあわせなんだろうと思った。

そのほかに苦になることは少しもなかった。ただおやじが小遣いをくれないには閉口した。母が死んでから六年目の正月におやじも卒中でなくなった。

 

 

 

 家を畳んでからも清の所へはおりおり行った。行くたびに、おれの自慢を甥に聞かせた。甥はなんと思って清の自慢を聞いていたかわからぬ。

ただ清は昔風の女だから、自分とおれの関係を封建時代の主従のように考えていた。自分の主人なら甥のためにも主人に相違ないと合点(がてん)したものらしい。甥こそいい面の皮だ。

 (本文より )

 

 

 

 

 ブログ 人と関わる〝わらべうた遊び〟

 

 

 

 

 

暑さに、めずらしくやる気が起きない私でしたが…

明日は須坂市の「しらふじ」

わらべうた講座”があります。

いま、廊下で1・2・1・2と気合いを入れました。

もし・・・座敷に虫が入ってきたら困るので

虫よけも買ったし、大丈夫です!

明日は頑張ります。

 

 

2013年7月17日  はらやま

 

 

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