〝これからは、正解のない中で、主体的に取り組み、チャレンジできる力”が求められています。
それにつけ、大学教育の質をどうやって高めていくか・・・
(2015.7月 NHK視点・論点)
今回の答申では、大学の入学者選抜について、知識・技能の習得だけでなく知識を活用する力や主体的に学ぶ力を含めた〝確かな学力”を、多面的・総合的に評価を行うー
としています。
具体的改革方法については、現在検討が進められているようですが、歴史的にかなり大きな改革になります。
テストの正解が一つだけではない問題も出てくるそうです。
平たくいえば、
記憶力が良い=頭が良い
の評価だけではなく、総合的な能力を大学入試で見てくれるというものです。
これまでの日本の入試は、ペーパーテストによる知識の暗記再生に偏りがちだった。それは確かな学力を評価するものではなかった。という反省点によるものです。
育成すべき人材像とは⇒
思考力があって、
記憶力があって、
意欲があって、
想像力があって、
主体性があって・・・・
包容力があって、
正義感があって、
洞察力があって、
思いやりがあって、
コミュニケーション能力があって、
とっさの判断力があって、
ルール感覚があって、
挙げたらきりがないですが、
私としては、幼少期からの遊びを見直し、
遊びによる教育力をもっと皆さんに認めて頂けたらと思います。
教育学者の齋藤孝先生は、
育ちのなかで重要な〝まねる力”は、わらべうたなどの集団遊びを通して学んできた時代があったと書かれています↓
『社会への対応力の基本である「流れに乗りつつまねる力」は、
かつては集団遊びを通して学んだもので、自分の知らない遊びであっても、まねる、盗むという力をもっている子は、遊びの流れの中に、まず飛び込み、その流れの中でルールを覚え、いつの間にか、自分も遊びの一員となっていきます。こうした力があると、どのような世界に放り出されても、何とか生きていくことができます。
その世界の流儀に合わせることができると、何とか食っていける、ということです。』と書かれています。
齋藤先生は、『私は、読み書きそろばんの現代版として、子どもたちに伝えるべき、生きていく力の根本として、「まねる力」、「段取り力」そして、「コメント力」という三つを常々考えてきました。三つの力の根底にあるのが「まねる力」で、あるいは、技を盗む力と言ってもよいかもしれませんー』と著書のなかで続きます。
さらに、『現代の教育の根本的な問題点の一つは、「教えるー教えられる」という関係が中心になっていることです。自ら学ぶこと、ましてや「まねる」「技を盗む」ということがほとんど教室で行われていません。
結果として知識を伝達することばかりで、そうした知識を身につける技への注目が足りない。どうしたら技が身につくのかという観点が重要なのです。
技というものは本来盗まなければいけないのですが、現状はまったくそのような機会がありません。知識を教えようとするので、まねる力、盗む力が育ちません。その結果、全部を教えてもらわないと、身動きのとれない人間を育てることになっているのです。』
と書かれています。
『型としての教育は、教えるものではありません。まねる、盗むという力は、型の流れの中で鍛えられます。自然に慣れて、それが身につけばよいという考えのもとにいとなまれている活動ですから、まわりくどい説明で時間を無駄にしないですみます。
こうした文化のつまった「型としての教育」を通じて、子どもたちの身に刻み込まれるものがたくさんあります。こうした活動を、私は、「宝石をからだに埋める作業」と呼んでいます。
あとで掘り起こせばよいのです。自分の中にあるものはいつでも取り出すことができます。いつでも取り出せる宝をもっていることが、人生をゆたかにしてくれるのです。
日々の活動を通して、子どもたちに埋め込まれた宝は、生きていく上で大切な倫理観、言語感覚、あるいは、身体感覚や文化的な価値の高い音楽です。こうした宝は、おそらく子どもたちの生涯にわたって大きな財産となることでしょう。
自分の外側に知識があるのではなく、自分の内側に最高のものがすでに埋め込まれている。そして、それを自在に取り出すことができる。それは、教育の最高の果実です。』
(齋藤孝著 「子どもの集中力を育てる」より)
わらべうたに置き換えられる、先生の本の表現
- かつての集団遊び=わらべうたの集団遊び
- まねる力が育つ=わらべうた
- 文化のつまった「型としての教育」=わらべうた
ブログの冒頭にあることばに再び触れますが、
〝これからは、正解のない中で、主体的に取り組み、チャレンジできる力”が求められています。
ということは、大学受験対策として、小さい頃からそういった力を身につけておかなければいけないということになります。
私も、若い人たちと働くときに感じています。
学校の勉強は優秀で難易度の高い資格をもっているのに、知識を活用する力や主体的に学ぶ力が弱く、自分の頭で考えだし、一番いい状況を探っていくという仕事が苦手で、とまどいをみせているのです。 作業のような仕事はサッサとこなせるのに、その場にあった働きを頭で考えてするということができない。想像し工夫し主体的に一歩を踏み出すことができない、そんな若者が大変多いということです。
「できない。できない。」というので、やる気が無いだけだと思っていたら、本当にできないのですから大変です。
まねをして先輩の技を盗んで、とにかくやってみればいいのに~、とこちらは思いますが、そこができないのです。
齋藤孝先生の仰る、〝まねをする力”が育っていなかったのだと思います。
くり返しますが、
幼少期からの遊びを見直し、
遊びによる教育力をもっと皆さんに認めて頂けたらと思います。
2015年7月16日 はらやま