『子どもの遊びとうた』
世界的な民俗音楽学者
小泉文夫先生の本を調べてみると
【 本文より 】
一般に子どもたちは
わらべうたを
自由奔放に作り替え
アメーバ―のように変化させて
現代に伝えてきています。
たとえば関西に発祥したと思われる
「郵便屋さん、走らんかい、落とし物…」
というのが
東京に来て
「郵便屋さん、博覧会、落とし物…」
というふうに
関西弁の「走らんかい」が
東京の子どもによって
「博覧会」になってしまった。
歌詞としては
わけのわからないところ
はありますが
とにかく子どもはこんなふうに自由に
転変されていっているところに
面白さがあります。
これが
子どもら自身の自発的な遊び歌
なのです。
自分のほうから歌い出してゆこうとする
気分が起きる歌なのです。
彼らの中で自然のままに生きているわらべうたはどれも、世代により、集団により、あるいは歌われる路地ごとに無数のちがった歌い方があり、それがわらべうたの本来の存在のしかたです。
(「子どもの遊びとうた」本文より抜粋)
*
わらべうたは
生きている遊びであり
歌であり
育ちに貢献している
遊び歌であります!!
関西弁の方言に
違和感があったり
意味が分からなかったりすると
〝遊びを楽しくするために〟
あるいは〝遊びたくなる歌
にするために〟
自発的に歌詞を作り替え
身近な言葉にして遊んでいたという
ことになります。
*
この歴史を知ることによって、後世まで育ちに良いわらべうたが生き残っていくのには、楽しくて面白くて興味の出るもの
でなければいけない。
方言は他の地域の人にとって身近ではないということが、わかってきます。
ですから
自然と住んでいる地域によって
歌詞や音が違っていてもよい
ということになります。
小泉先生の言葉では
『ひとつの音楽が生まれ
何年も何年もかかって育ってゆく
その土地、その場所、その環境
いうのがあるわけです。』
ですが…いまや
わらべうたを見てみると
その土地の遊びがしっかりと残らず
まじりあった状態です。
したがって
子育て支援センターや
保育園、幼稚園などで取り上げる場合は
子ども達の混乱を防ぐために
話し合って
『統一したわらべうたを遊ぶ』ことが
大切になってくるわけです。
2016年10月1日 はらやま
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