小泉文夫先生の著書
『子どもの遊びとうた』
ーわらべうたは生きているー
は、私のバイブルです
なかでも
P127「わらべうたの育ち方」
についてのページが好きです
誰が、いつどのようにして
わらべうたを運ぶのか?
ということを書いた部分です
【本文より↓】
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実際わらべうたの調査をしてみると、北海道や青森と鹿児島や沖縄とでは、ずいぶんちがった表情をもっています。ところが私たちはむしろ逆に、これほど距離的に離れ、自然や文化的環境が異なっているにもかかわらず、なんと共通したわらべうたが多いかに驚いているのです。今から7年も前に、沖縄の子どもたちが東京のわらべうたとほとんど同じものをたくさん知っているのを発見して不思議に思いました。そして同じ年に青森の下北半島でもまた、ほとんど同じものが歌われていました。もちろんアクセントや旋律感覚のちがいで、部分的にはちがっていますが、明らかに同系統の遊びであり、うたなのです。誰がいつ、どのようにしてわらべうたを運ぶのだろうか?特に本土と沖縄との場合、わらべうたが電波に乗るわけでもないし、音楽の教材になっているわけでもありません。鹿児島と那覇との間の連絡船にわらべうたを歌う年齢の子どもは多く見かけませんでした。またある時、鹿児島と北海道でまったく同じ系統で歌詞も酷似した「まりつきうた」を発見したことがありますが、不思議なことに、その途中ではまだそれと同じまりつきうたを聞いたことがないのです。
↑ 1986年7月発行の本です。まだ、ネット時代に入る10年も前に発行されたものです。
以前、99歳の女性に
〝数え唄〟を教えてもらいました
(長野市赤沼在住)
ひい
ふう
ふんだる
ダルマ
夜も
昼も
赤い
ずっき
かぶり
と
(10までの数え唄です)
するとどうでしょう、今日
遠野市立博物館発行
『とおのー遠野に伝わるわらべ唄ー』
の冊子をパラパラみていると
ひい
ふう
ひんだり
だるまは
夜も
昼も
月に
ちょんと
笠を
かんぶりけん
を発見したんです!
そのときの驚きは
道ばたでバッタリ
初恋の人にあったような
喜びでした
著者 阿部ヤエさんは
次のように
書いています ↓
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十までの数をかぞえる唄です。母はよくこう唱えて数をかぞえました。ずいぶん古い唄だと言われていましたが、松崎町(光興寺)に伝わる(横田田植)の唄の中にも、同じような唄がありました。紀州の熊野に、同じような唄があると本で読んだこともあります。
それにしても 、いったい
誰がいつ、どのようにして
長野と遠野に
このわらべうたを
運んだのでしょうか?
『玩具を売る行商人や山伏、
江戸時代の参勤交代のときなど』と・・・
そんなふうにいわれていますが、はて?
阿部ヤエさんに
以前お会いしたとき
遠野のわらべうたは
山伏により運ばれたものが多いと
伺いました
明治以降はおそらく転校生?
小泉文夫先生は著書のなかで
続けます・・・ ↓
- 大人の気づかない世界で、このわらべうたという無数の生きものは、どんなに無視されても、圧迫されても、僅かな隙間から子どもの心の中に飛び込み、新しい生命をかちとって広まっていく。
もうすぐ、新しい年号になります
わらべうたたちはきっと。。。
時代の変化など物ともせず
〝僅かな隙間から
子どもだけでなく大人の心の中にも
飛び込み
新しい生命をかちとって
広まっていく〟のだろう。。。
2019.2.14