こんばんは
はらやまです
私事で失礼します
嫁いで35年たちました
実家の物置にある
幼少期の卒業文集や写真やらを
段ボールに入れてあるから
持って行って欲しいと
兄からいわれて
ああ、そうだったんだ~
嫁に来るとき
置いてきたんだね、と
持ち帰り開いてみると
なんと
私の前のMさんの作文が
あまりにもユニークで
くっくっく
おったまげました!
小学校卒業文集
33人中の初っぱなを飾る
電気屋のMさん
の作文を紹介します!
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◎一年生の時だった・・・
〔おもしろい二人の先生〕
よく、わたしの家へ、H先生やわたしたちをおしえてくれるK先生が来た。K先生が来ると、どっちがさけをのむかってきくと「そりゃあH先生の方がさけをのみますよ」っていって、H先生が来た時、「K先生とどっちがさけをのむかってきくと、H先生は「そりゃあK先生のほうがのみますよ」って、よく二人は反対のことを言っていた。H先生がわたしの家に来て、母ちゃんと話している時、わたしは、算数をやっていてちっともできなんで、とてもひやあせが出ていた時、Mさんが遊びにきたら、H先生が「今、勉強しているわい」って、おこったいい方して、Mさんはびっくりして帰っていってしまって、とてもMさんがかわいそうだった。
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作文を書いたMさんの家は
町の電気屋さんだったので
なにかと先生の出入りが
多かったようです
かっこつけた作文よりも
このような作文のほうが
ほのぼのとします
当時を思いだしてみました。K先生がわたしたち1年生の担任で、H先生は5年生の兄たちの担任です。我が家の次兄もH先生に教えて頂いていたので、我が家にもH先生が来たことがあります。H先生は女の先生です。家庭訪問のときに母がビールをお出ししていたのを覚えています。「妹さんもいらっしゃい」とH先生がおっしゃるので、そばに行って調子にのっていると、母がテーブルのしたでわたしの足を〝お行儀よくしなさい〟という意味でギュッとつねったことを思いだしました。人生で、母につねられたのはあれが、最初で最後でした。のちに、母と次兄が話しているのを聞いたところによると、H先生がきっかけで兄は数学の成績が伸びて、東大を出ることができたのだというような話です。
よそゆきのことばではない
こういう作品が
時代を超えて愛される
作品なんだと思いました
Mさんが実際に目にしたものを
何の野心もなく
言葉を使って記録した
こういう作文(日記)が
時代のふるいにかけられても
面白さを出してくれるのだと
ちなみに
二番バッターのわたしは
「二のみや金次郎さんと入学」
という本当につまらない内容で
読む気もしませんでした
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