〝音楽あそび〟としてのわらべうた
こんばんは
はらやまです
新型コロナのある世界で暮らしていかなければいけない覚悟をつきつけられた今、ソーシャルディスタンスを念頭においての保育(教育)は、どのようにやっていったら良いのか?…
テレビで専門家が仰っていました。いのち、経済、教育に目を向けながら、ウイルスと闘わなければいけない。本当に、教育を忘れてはいけないわけです。
今日は1ヶ月遅れで、あけぼの幼稚園での〝わらべうた〟の時間がスタートしました。
社会性の発達から見ると、幼稚園の生活は、乳幼児期の遊びから、集団遊びへと移行してゆく大切な段階です。新型コロナにより、マスク一つをとっても友達の表情がわからなくて、今まででは考えられない、コミュニケーションの発達にとっての不利な状況となっております。
しかし、人はたくましいものです。与えられた状況のなかで、何とか工夫し、最良の生活様式を身に付けていくものだと信じております。〝粘り強くてしぶとい雑草のように〟自然界を生きていくたくましさを持っているのが人間だと思うわけです。
さて、今日の〝わらべうたの時間〟は、長野あけぼの幼稚園からスタートしました。
年少さんから、年長さんまで、全園児のみなさんと、ソーシャルディスタンスをとりながら、〝音楽あそび〟として『わらべうた』を遊びました。(手をつないだり、お手合わせ、鬼ごっこができないので…)
基礎的な音楽、いわゆる幼い子どもの中にある音楽は、音楽単独ではなく、必ず動きと言葉がともないついてくる(カール・オルフ)。なるほど、去年、松本大学の安藤教授が仰っておりました。動きと言葉を大切に『音楽は子どもにとって遊びそのもの』と、背筋を引き締め望みました。
日頃、時間的な制約があり、やりたいと思っていてできなかった、わらべうたの絵本の読み聞かせや、〝ひと山越えて〟のわらべうた、足ジャンケンや、手遊びを丁寧にやることが出来たのは、思わぬ収穫でした。
『ひとやまこえて ふたやまこえて みやまのタヌキさん』と、自分の拳を一つ一つなでながら、こんなところに骨があるのか?と知って自分を発見をする。
個々の楽器や道具がしばらく使えない今、木の実や木の枝もムリなら、手足を打ち、床、壁をならしてつくる合奏(クイーン?の様、笑)、口笛のウグイス、鳥のさえずりのバードコール、波の音のオーシャンドラムを披露しましょう♪ 子どもにとって音楽は遊びそのもの。母国語の音楽をわらべうたが教えてくれます。
大きなシフォン布で、風を感じて欲しかった。 目を閉じ、まだ見ぬ南国の波を感じて欲しかった。本物そっくりの籠に入った蛍の点滅を見て何かを感じて欲しかった。森のなかの鳥のさえずりをバードコールで想像して欲しかった。わたしたちの遠い祖先は、アフリカの森を出て平原で暮らすようになった。遺伝子にある遠い昔の記憶が、もしかして全身のあらゆる感覚を通して蘇るかもしれない。(大げさでスミマセン、笑)。子どもの内なる感性が、音、音楽によって呼び覚まされ揺さぶられているにちがいない。子どもの成長発達のエネルギー源になる〝音楽あそび〟であるのです。
「また、あえたねー」
と子どもがいった
「やっと、お会いできました」
と先生がいった
しかけ絵本の『かぜ ビューン』で
みんなが笑う
遊びの共同体は
遊びが終わった後も
一緒にいたという仲間としての
感情が持続し育まれる
次回は
「この前、いっしょに遊んだねー」
という感情で
子ども達に会いたいと思いました
2020/07/06
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