こんばんは
はらやまです
私は〝わらべうた〟を
伝承しております
ブログでは
主にわらべうたのことを
書いていますが
ガーデニングや
神社のこと
嵐(まだ、解散はしておりません)
などの話題もあります
お時間がある方は
上のメニューから
覗いて頂ければ幸いです
(スマホの方は上の
ハンバーグマーク内にあります)
今日は
わらべうたについてです
どうぞお付き合い下さい
*
わらべうたの教育力は
たくさんあって
お話しするのに
時間がかかります
今日は
〝まねる力が鍛えられる
大変良い遊び〟という
ことを書きたいと思います
それを知ったのは
齋藤孝先生の
著書を読んでからです
(今から10年ほど前になります。わらべうたの力を探っているときに出会った本です)
「まねる力を鍛える」
ことは
生きていく上で何に役立つの
でしょう?
見ていきたいと思います
*
齋藤孝 著
「子どもに伝えたい〈三つの力〉
生きる力を鍛える」
の中で 齋藤先生は
〝まねる盗む力〟は
生きる力の基本として
たんなる模倣力ではなく
しっかりと技を意識的に盗むことを
目標にして提唱しています
なんとなくまねを
してしまっているという
のではなく
意識的に
身体を同調させるまねの仕方を
することで
「人間関係力」が
高まると書いてあります
他には
〝コメント力〟〝段取り力〟のこと
が〈三つの力〉として
書かれています
子どもに伝えたい〈三つの力〉生きる力を鍛える
【本文より】
- まねる力は、生活様式をまねして身につける学習能力ともいえる
- 社会で生き抜く力を支えているのがまねる力である
これを読んでから
〝わらべうた〟は
見よう見まねで
覚えていく遊びであるので
「まねをする力が鍛えられる遊び」
として認識し
子育て講座では
「わらべうたは
まねをする力が鍛えられる
大変よい遊びです
まず、見ること・
聞くこと・まねっこすることを
できるようにしましょう」
などと、コメントしています
わらべうたは
そもそも
余計な言語的説明をしないで
見よう見まねの
くり返しのなかで
伝承されてきました
齋藤先生は
- まねる力は、身体と身体のあいだの想像力、すなわち間身体的想像力とでもいうべき力であろう
- この〝まねる力〟は人間の適応力の基本となるものだ(人間のレスポンス(応対・対応)能力の高さを示す現象
- このレスポンスは、相手からの働きかけが終わったところから始まるというよりは、それと同時に、あるいはその直前から始まっている
齋藤先生も本文の中で
触れていますが
昔から
〝見よう見まねでやってみる〟
ということばがあります
- 相手のからだの動きに内側から自分のからだを合わせていくような、想像力とからだの動きのよさが、まねる盗む力を鍛える場面では要求される
この部分を読んで
〝まねる力〟を鍛えておくと
対応能力が鍛えられ
将来的に
業務遂行能力や
コミュニケーション能力など…
社会人に必要な基礎スキルに
なるよね と理解し
わらべうた!は使える
この力を鍛えるために
そもそも
〝わらべうた〟が
子どもの文化として発展
してきたのだ!
そんなふうに
私は思いました
えっ!
〝わらべうた〟 ?
たかが子どもの遊びでしょ
と仰る方もいるかもしれません
はい、確かに
子どもの遊びですが
実は
〝子ども達は遊びで学習していきます
近年、非認知能力ということが
世界に認められ
子どもにとって
〝遊び〟は〝学習〟と同等か
それ以上に大事だということが
多くの研究者により
明らかにされました
(齋藤先生は、本文の中で〝わらべうた〟ということばは直接使っていません。しかし『伝承はこのような〝まねる盗む力〟を基盤にして行われている』と書いていて、わらべうたは伝承遊びなわけで、まさにこの〝まねる盗む力〟を基盤としているのです)
齋藤先生は
『まねる盗む力』は
日本の成長の実質的な基盤
となった力だとし
- 日本が成功してきた最大の要因とも思えるこの職人的な技を盗む力を、古いものだと見なして忘れ去ってしまうとすれば、それは莫大な国家的損失となるであろう。戦後50年以上の教育においては、まねる盗む力は教育の中心的な課題とはされてこなかった。そのツケが回ってきているのではないだろうか。徒弟制度にはマイナス面も多い。そのことと技をまねる盗む力とをいっしょくたにして捨て去ってしまうのは、あまりにも大雑把で浅薄な考え方だ 。徒弟制度を復活させなくとも、まねる盗む力を鍛えることは十分にできる。学校教育内でもそれを中心課題として呈示すれば、鍛える方法はいくらでもある。これまで、この力を明確にコンセプトとして捉えてこなかっただけのことだ。経済が不況になればなるほど自信を失い、これまでの成功の要因を忘れ去ってしまいやすくなる。そうなってしまえば、競争力はいよいよ落ちてしまう。まねる盗む力は、日本の成長の実質的な基盤となった力をコンセプトしたものである。
このように
学校教育についても
触れています
また、近年
仕事を見て積極的に
自分で技を盗むという
構えが希薄になっている
という意見が
聞かれるようになった
ことについて
次のように仰っています
- 教えられすぎることによって、自分から盗むという学習の基本的な構えが、甘やかされてだめにされているのである
- 言葉では教えてもらえない。そうであれば、見て盗むほかはない。そうした状況に追い込まれれば自然と技を盗む力が身についてくる。技を盗むつもりで見ていると、言葉では説明しきれない部分にまで認識力が働くようになる
わらべうたも
まさにこうありたいと
思って
伝承しています
わらべうたは
教えないで子ども達が
マネをして覚えながら
遊ぶのが本来だからです
- 見て技を盗む力は、日本に限らず世界中の職人文化に見られる。ドイツのマイスター制度もそうだし、未開社会と言われる社会に見られる技術においても、伝承はこのようなまねる盗む力を基礎にして行われている
以前、放送大学で
聴きました
日本の文化人類学グループは
狩猟採集民を観察して
「教えないでマネをさせることが
自主性を育て自ら創意工夫する
学習 の力を育てる」ということを
確かめたのだそうです
見てマネをする中で
ポイントをつかんで
技を工夫する力も生まれる
狩猟採集民に
教えるという行いが
極端に少ないのは
自主性を尊重し
創意工夫する力を育てるのが
目的なのだそうです
なぜ?
そうするのでしょう
〝生き残るため〟です
私たちは先回りして
つい教えてしまいがちですが
自主性・創意工夫する力を
育てるには
よく見せてマネをさせるという
ことなのだそうです
わらべうたも
同じだな、と
そのとき思いました
わらべうたは
あーやります、こうやります
と、事前説明をせず
やりながら
技を覚えてもらうのが
本来です
齋藤先生の仰っていることも
放送大学で聴いたことも
わらべうたの教育力と繋がり
なるほど!
唸らずにはおられませんでした
集団で子どもが群れになって
わらべうたを遊ぶなかで
まねる力を培い
それが自主性・創意工夫する力を
育むことになる
そして
齋藤先生 曰く
人間のレスポンス能力
適応力の基本となって
生きる力に繋がっていく
社会で生き抜く力を
支えているのが
まねる力
わらべうたは
教えないで
まねをさせることができる
〝まねる力を鍛える
素晴らしい遊び〟という
本日のブログでした
最後にもう一つ
落語の徒弟制度において
師匠と弟子の関係の厳しさは
違うけれど
身体論の部分が
まさに〝わらべうた〟が
子ども達により
伝承されていく過程と
重なるところがある!と
感動したので
ご紹介して終わります
- 弟子は師匠のまねから入る。生身の身体から体へ、言葉のリズムを移していくのが伝承のスタイルだ。言葉の間を身に付けるためにも、身体を同調させるまねる力が求められ鍛えられる
2021/11/10